ONE HEART FOR NOTO 〜こころをひとつに〜
令和6年能登半島地震・奥能登豪雨 被災地支援 活動報告書を作成しました

能登半島地震の発生を受け、被災された方々に三重から支援する方々をつなぐために官民連携で行った活動の報告書を作成しました
- ご挨拶
- 活動の記録
- 設置の決定までの流れ
- 支援の経過
- 活動カレンダー
- 先遣隊、現地調査
- 炊き出し支援
- 現地NPOと三重のNPOをつなぐボラマッチ
- 情報共有会議
- 現地社協への応援
- 団体助成
- 個人助成
- みえ災害ボランティア団体バンク
- ご支援ご協力いただいた皆様
- 収支報告
- 今後に向けて
以下、団体助成/個人助成で三重から駆けつけて頂いた方々の声を掲載します
ボランティアの声
【個人向け】令和6年能登半島地震災害ボランティア活動交通費等助成事業を活用して活動して頂いた方々のメッセージをご紹介します
杉山実生さん 7月17日~7月20日、8月16日~17日、9月14日~15日 輪島市(町野地区、南志見地区、河井地区、大沢地区等)
輪島市河井地区の火災現場で依頼主さんのお話を聞くことができました。震災当日に大津波警報がだされ火の手が迫る中、家が倒壊していその中に親戚が残されている。しかし助け出すことができない。断腸の思いで高台に避難するしかなかった。辛い気持ちがひしひしと伝ってきました。また今後、この同じ場所で家を再建する強い思いを語る姿に私も涙がこぼれそうでした。元旦の地震発生時、私も輪島に帰省中で被災しました。地震を体験した一人として輪島の人たちに寄り添う事ができると思い、今後も妻や義理の両親の故郷の再建に微力ながらお手伝いをしたいと考えております。
YNさん 7月27~28日 七尾市
地震災害の被害に遭われた方や家屋などの様子は、現地に行かなくては真に感じることができない。災害ボランティアに参加したのは人生で初めてだったが、参加したことで災害が非常に身近に感じるようになった。私は大学で災害の研究をしているのだが、研究をする上でも、災害を受けた地域がどんな様子かを知ったことで、考えることの観点や興味の対象が大きく異なるきっかけになった。この助成金を利用した後に、更にボランティアを続けたいと感じ、その後も私費で何度か訪問し災害ボランティアをした。今では自分にとって能登半島は特別な地域である。本当に参加して良かったと感じています。
加藤輝幸さん 7月15日、8月16日、10月13日 能登町内浦
懐事情が厳しい中、今回のように助成をいただきましたこと心より感謝申し上げます。 全て同じ能登町のボラセンに通いました。ボラセンにあった仮設トイレが夏頃に撤去され他府県のビブスを着た社協職員がいなくなり、5月に入ったお宅が10月には更地になっていて建築予定の看板が立っていた一方、まだ手付かずの家が残っていたり…と遅々としながらも月日の流れを感じました。家主さんから伺う諸々の実情、先々に向けた想いなどを聴いて胸が詰まると同時に、このリアルな現状を自分事として捉え、地元でどのようにして啓発していけばよいかを深く考える機会にもなりました。
S,Yさん 10月11日 輪島市
輪島は車で一般車が入れますが、道はよくはないです。地面を失って空中にぶら下がっているガードレールとかあって、陥没して道が切れて無くなっている上を舗装しただけの道とか、走れば車の運転の感覚では落ちたり浮き上がったりみたいな、右に左にう回路があり、自分の車が走行している車線を頻繁に外れるので、遠くから見ると反対車線の車がふわっと急に現れて逆走して来るように見えたりしました。でも、孤立した村々にトラックで物資を運ぶために道路を通すのを急ぎ、「何とか輪島まで早く通したい」という強い意志を感じました。どんな突貫工事であったか、強い意志で奥能登の生活を復活させる工事を進めた苦労の後でした。
YN710さん 10月15日〜16日 輪島市、珠洲市
今回初めて能登のボランティア活動に参加しました。被災地の状況については、テレビ報道、新聞記事等々でその状況は把握していたものの、実際被災地へ入ると悲惨な状況でありました。地震での家屋崩壊、陥没、豪雨による河川の氾濫あと、流木等々、想像を絶する光景を目の当たりにしました。 活動内容は、両市とも高齢者宅での土嚢を運び出す活動を10人程で行いました。重労働でしたが、ボランティア同士の助け合い、声の掛け合いにより頑張る事が出来ました。そして何より大変な思いをしている被災者の笑顔は、非常に印象的であり、やり甲斐を感じた瞬間でした。最後に被災者夫婦から、お土産に豪雨前に収穫した「さつま芋」を全員にいただいたのが感動的でした。
Y.M.さん 9月21日(豪雨の日で活動は途中で中止)~30日・
能登町松波・柳田の仮設住宅に併設の集会所 10月23日~28日 輪島市町野町
◎東日本の震災時も現場にいたJOCA職員さんから聞いた話で、「未満児を連れてボランティアに加わったお母さんがいた。大人がどんなに被災者に言葉掛けをしても傾聴してもできないこと、被災者がかわるがわる「抱っこさせて」と、その場を大いに和ませた赤ちゃんは素晴らしいボランティアだった」とのこと。 ◎水害後の床下泥出しというのは泥を外に出したら終了かと思って参加したが、床下をサーキュレーターで乾燥し、こびりついた不潔な土をたわしやブラシと塵取りでかき集め、土台立面(コンクリートや木の柱部分)をオスバン(?)のような薬剤をスプレーしたウエスで拭くというもので、床下の移動が大変だった。
渡邉貴大さん 7月13日〜14日、8月17日、9月22日 輪島市
多分、災害がなかったら行かなかっただろう能登(輪島)。出会う事がなかっただろう人達。今では大好きな場所、大好きな人達がたくさんいます。9月のボランティアへ向かう道中に 能登の大雨情報が入りました 土砂崩れがあり輪島までいけないと… 1日目は金沢で待機し 2日目にダメもとで輪島へ向かいました。輪島がとんでもない事になっていました。ただ全国各地から集まってきたボランティアの方々が必死で頑張っていました。私も自分の出来る事をやってきました。能登が復興するまで何年掛かるか分かりませんが通い続けます。能登で自分が経験した事、見た事を周りのみんなに共有して、これからも能登と一緒に歩んでいきたいと思います。
K.Iさん 8月26日 珠洲市
9か月がたとうとしていた時期であるにもかかわらず、手付かずの状態の家などが各地にあり、復興までの道のりの長さを感じずにはいられませんでした。ただ、前向きにがんばろうとされている現地の方に出会うことができたり、ボランティアセンターの方や一緒にボランティアをさせていただたいた方にたくさんの元気をもらえたりしたことは何にも代えがたい財産となりました。現地に行かせてもらって以来、テレビで見る震災がより身近な問題として感じられるようになりました。自身も南海トラフ地震がいつ起こるかわからない地域で海のすぐ前に住んでいます。学んだことを生かして防災意識を高めるとともに、自分にできる支援をこれからも続けていきたいと思います。
山羊さん 10月13~14日 輪島市門前町
『人手が足りない』 豪雨災害の後の泥の掻き出しに参加しました。家や納屋の泥を出しながら、埋もれているものを一つ一つ取り出しました。私たちからみたら泥だらけの「もの」かもしれませんが、そこには人々の営みがあり、この災害に合わなければ、この先何十年も大切に使い続けていた「もの」、思い出として飾られ続けていた「もの」…。そう思うと、機械的にちゃちゃっとということはできませんでした。「片付けなければいけないのは分かっているんだけど、なかなかその気になれない」被災された方たちの複雑な想いがひしひしと伝わってきました。見た目だけではない復興を。そう思うと全く人手が足りません。これからも細く長くお手伝いが出来たらと思います。
D.S.さん 7月15日、7月20日、8月17日 志賀町
能登半島地震で被災した石川県志賀町の住民の皆さんに少しでも元気になっていただくため、伊勢うどんのふるまいを実施しました。実施時間前から多くの方々が来られ、開始と同時に行列ができ、物珍しさもあって喜んでいただきました。傾聴カフェについて、仮設住宅に移ってからは、今まであまり知らなかった人と隣同士になるなど、新たな地縁関係が生じるなかで、隣同士が誘い合ってこられるなど新たな近所付き合いができ、集まられた入居者同士で親しくなることもあり、いいきっかけの場を作ることができたと思います。カフェの話題は地震当時の様子、自宅が被害を受け、遠く住んでいる子や孫が返ってくる場所がなくなってしまったなど切実な話をお聞きしました。
浅井伸一さん 7月5日~7月7日 能登町
地震が1月1日に発生してから、半年後の7月の初めに能登町に行ったにもかかわらず、まだ手付かずの惨状があることを見て驚きました。地理的な問題も含んだ息の長い支援の必要性を感じました。それと高齢者被災者宅の多さを感じました。活動内容としては、朝に能登町ボラセンに行き、活動内容に応じて、そこで4人~6人でチームを組み、先ずリーダを決め活動場所を確認(スマホの地図アプリを利用)して、軽トラに当日の活動に必要と思われる、工具等を積み依頼現場に行き、主に被災家屋での家財の解体及び持ち出し集積場所までの運搬作業を行いました。災害ボランティアに行って思うのは、小回りの利く軽トラの必要性です。能登の為に微力ながら応援します。
K.Wさん 9月14日~16日、10月26日~29日 珠洲市飯田・馬緤町・皆口・正院町、能登町・鵜島、輪島市南志見など
作業自体は危険も少なく誰でも出来る内容が多かったので、もっと多くの人が来てくれたらと思った。頼んでも、なかなかボランティアが来てもらえないという声も聞いた。石川県ボラバスは日帰りで効率が悪い。早い段階でボランティア用のキャンプ場などの簡易宿泊拠点でも用意してもらえたら行きやすい。私はボラキャン珠洲があったから行けた。1~12月で通算5回=通算約20日 三重県から個人ボランティア支援は大変助かった。団体だけでなく、個人ボランティアにも目を向けてくれたことがうれしかった。 何回も行っても、被災者の方と話す機会は少なかった。私自身はボランティア経験をSNSで発信したものの職場や地域で伝えることもなく、少し残念。
HMさん 7月14日 珠洲市
当日は、家屋内の災害ゴミの運び出し、ガラスや瓦の集積と仮置き場への搬送が活動内容だった。発災から月に1度活動に参加したが、半年が経過しているにもかかわらず一向に復旧が進まない状況に、???! 石川県のボランティアセンターを通じてのエントリーは、募集人数が多くなく、あっという間に枠が埋まる状況に???! 半島部で1本しかない幹線道路が寸断されたため、多くを受け入れられない状況は、南海トラフ地震の発生が危惧される三重県でも想定されるため、しっかり準備すべきだと感じる。 ボランティアの多くは、自家用車での車中泊で数日活動が一般的なので、それに対応できる集合場所の設定もお願いしたい。
団体の活動報告
【団体向け】令和6年能登半島地震災害ボランティア活動費等助成事業を活用して現地で活動頂いた団体のみなさまの活動報告です
三重さきもり倶楽部

MVSCのボラマッチ事業で繋がった災害支援NPOありんこを通して、9月21日、22日と輪島市門前地区仮設住宅でサロン活動を行いました。私たちが能登入りした9月20日は、まさしく能登半島豪雨の真っ只中。活動の中止も考えたのですが、受入団体と密に調整を行い、安全を確保した上で活動を継続することにしました。
近くの介護施設が浸水しているとの情報があり、急遽、施設の避難支援活動と2班に分かれて活動することになりました。
サロン活動では、協賛いただいたお菓子を振舞いながらのお茶会、布リースワークショップと寄せ植えづくりを行いましたが、「大雨の中、もう来てくれないのかと思った!」とたくさんの方が集会所で待っていてくれました。
来られなかった方にも、お土産や布リースキットを届けてもらい、後日、「酷い雨の中来てくれた方にお礼を伝えてほしい。辛い状況の中で嬉しい事が舞い込んできて救われる思いだった。大事に置いていたものが全て流され、一日ずっと歩いて探しても見つからず、失意の中で帰ってきて本当に思いがけないお土産をもらった」と伝言を頂き、大雨の中、活動を止めずに行ってよかったと感じました。
三重さきもり倶楽部
9月の豪雨被害の泥出し作業をするため、覚悟して60台後半の男性3名が集まりました。甚大な被害を受けた輪島市役所付近のエリアにある河原田川直近の酒屋さんで店舗内の事務所の泥出しを行いました。店主は年始の地震の被害より豪雨被害の方がダメージを受けたと話しておられましたが、店舗内の土砂水がなくなりきれいになるにつれ何度も「ありがとう」と言われていました。翌日は、別の住居の泥出し作業と浸水した家具の搬出作業を行いました。
その後前回の活動の際に支援した「もんぜん楓の家」に伺い、井村屋様から提供して頂いたお菓子やぜんざいをお渡しし、帰路に着きました。
作業はとても疲れましたが、充実した二日間でした。
今後も三重県の防災力を高めるためにも、ボランティア活動を継続して行きたいと思います。
非営利市民活動団体だいじこファミリー
①多羅葉の葉っぱに文字を刻む体験
②オリジナルだいじこポストに投函頂いた手紙の後日お焚き上げ
③使用済み切手を使ったオリジナル栞作り体験
④オリジナルステンドグラスカード作り体験
⑤オリジナル写真ポストカードの配布
⑥竪琴ライヤーのミニ演奏会&「ふるさと」合唱
⑦レターセット・葉書・便箋・封筒・切手・文房具・古本・日用品・ぬいぐるみ・尾鷲檜のポンポン・三重県ゆかりのお菓子の配布など。
これらを一緒にお茶やお菓子を頂きながら楽しんで頂きました。手紙を書かれた後に涙ぐまれる方もみえ、手紙に思いを書き出すことで少しでも気持ちが軽くなることを願わずにはいられませんでした。「また来てな」と声を掛けて頂き、再訪できればと考えています。
一般社団法人三重県建築士会
新年明け早々の厳しい冬のなか、被災した住宅の判定作業はつらいものであった。しかし大変な被害に見まわれ、悲しい表情の住人さんのことを考えると、つらいとは云ってはおられず、判定作業を行なった。
地元行政のコーディネーターは判定棟数の多さを重視する方針で、予想を超える棟数を要求され、相棒と判定作業を淡々とすすめたが、もう少し、住人さんに声掛けすればよかったと今も思っている。被災直後のカウンセラー的な支援を考えてもいいのではと思う。被災し悲しい思いをしている住人に声掛けする活動も必要であると考える。
一年が過ぎ、もう寒い思いをせず過ごしていただけることを願っている。
被災地の一刻も早い復興をお祈り申し上げます。
鈴鹿市社会福祉協議会
本会が養成を進めている災害ボランティアコーディネーターズと社協職員(2市町)が合同で、自分たちにできる支援を届けたいという想いで支援活動を企画しました。
被災地は、写真や映像で見聞きしていた以上に大変な状況で、復興に向けた道のりの険しさを痛感したと同時に、継続して支援活動を続けていくことの必要性や、関係機関や地域住民との日頃からの顔の見える関係の大切さを改めて強く感じました。
実際、泥の運び出しの作業で関わった家主さんから作業後にいただいた「以前の生活が少しイメージできるようになった」との感謝の言葉を胸に、被災地の生活に微力ですが関わり続けていきたいと思います。貴重な機会をいただきありがとうございました。
特定非営利活動法人みえ防災市民会議
雪の降る3月初旬、避難所になっていた輪島市三井公民館で、昼食とおやつの炊き出しを2日間行いました。各回30食を準備して伺ったものの、受け入れてくださった公民館館長がたくさん広報をしてくれて初日60食、2日目45食とたくさんの方にお渡しすることができました。
提供した食事は株式会社やまぶん、おやつは井村屋グループ株式会社より協賛いただきました。
「美味しかった!おかわり!」と避難所から駆け出してきたおじいちゃんがいました。容器のふたを準備しておらず、お持ち帰りの多さにあたふたしていると、サッとラップを持ってきてくれた方がいました。館長は、片付けをしている私たちのそばに来て温かいコーヒーを淹れてくれました。私たちにとって大切な三井と三重のご縁のはじまりです。
ちゃわサポ
能登半島地震発生後、2月から個人的に活動をはじめ、9月にボランティア団体を設立。
能登に対し継続した活動を続けてきたが、9月末の大雨被害も重なり、R7になってもまだまだ復興の目途が立っていない能登半島。
みえ災害ボランティア支援センターの助成を受けて活動しやすくなった半面、支援したくてもまだまだ金銭的支援を必要としてしまい、気持ちだけがもどかしく疼く現状です。
私たちちゃわサポは、現地に拠点を置くコミサポ広島さんや幡ヶ谷再生大の方々と協力して作業させていただいているため、必要最低限の装備で活動できていますが、現地で知り合った方々への細やかなサポートを継続していくには、ちゃわサポ個人でもどんどん活動していく必要があると、課題の多く残る結果となった。
これからも助成金を受けて活動できる範囲で継続的に活動していきたいと強く思うとともに、能登半島地震のボランティアで学んだ教訓などを三重の災害予防に活かし、私たちの活動内容を三重県民に周知させていきたいとも感じました。
最後に、今回このように私たちが活動できた背景には、みえ災害ボランティア支援センターの方々の手厚いサポートがあったからこそだと感じます。本当に有難う御座いました。私たちの活動が三重県の災害予防に活かされることを切に願います。
ダンスチーム伊賀今村組
伊勢志摩まちづくり団体 楽笑【三重支援チーム楽笑】
楽笑は、能登半島地震や豪雨災害の被災地で、地域住民と協働し幅広い支援活動を展開。草刈り、炊き出し、家財運び出し、支援物資の配布、子どもの居場所づくり、学習支援、カウンセリングなど、住民の声を基に活動を実施。8月から能登町小木に拠点を構え、子どもの居場所やボランティア学習塾を提供。毎月の交流会では住民同士の絆を深め、孤立していた人々が新たなつながりを持つ場を創出。草刈りや炊き出しでは「心が通う」関係性を意識し、地域の人々とともに活動。年末年始には「竹あかり」を地域住民と制作し、笑顔あふれる場を作り出した。活動を通じて、個々の得意分野を活かし、住民が主体的に動ける仕組みづくりや地域活性化を目指すとともに、心のケアを重視した支援を行った。どの活動も「心が動く」一歩を目指し、地域の今と未来を支える基盤を築いている。
社会貢献団体オートノベ
今回、発災後初めて能登へ行かせていただいた。発災直後から支援活動を行っていた知人から現地の話を聞いてはいたが、被災した惨状を実際に目の前にすると、なんとも言えず胸に迫るものがあった。私自身これまで、地震や水害の被災地へ復興支援活動を行ってきたが、今回は特にボランティアの人手不足と、様々な要因があるとはいえ作業の進捗の遅れを痛切に感じた。また、現地の方々と接する中で、それぞれ言うに言われぬ体験や思いもあったと思うが、互いに励まし合い喜びを見つけて助け合っている姿に、かえってこちらが元気と勇気をいただいた。被災全体からすると本当にごくわずかな活動しかできなかったが、少しずつでも活動する事で前に進んでいく事もあると思うので、これからも活動を続けていきたい。